苦しむ人を介護するのは苦しい。
呼吸器になじまず呼吸に苦しむ母。
首も動かせず、どう動かしても気に入らない。
急速に進むタイプのALSだった。
7月にはまだ歩行器で歩いていた。
12月には、苦しいながらもまだ話していた。
1月に呼吸が止まった。そのまま呼吸器装着。
3月に退院。
車椅子が通れるように庭を整地した。
多数の木を切り、母が集めた山野草もかわいそうなことをした。
植物の命を考える余裕はなかった。
苦しむ人を介護するのは苦しい。
呼吸器になじまず呼吸に苦しむ母。
首も動かせず、どう動かしても気に入らない。
急速に進むタイプのALSだった。
7月にはまだ歩行器で歩いていた。
12月には、苦しいながらもまだ話していた。
1月に呼吸が止まった。そのまま呼吸器装着。
3月に退院。
車椅子が通れるように庭を整地した。
多数の木を切り、母が集めた山野草もかわいそうなことをした。
植物の命を考える余裕はなかった。
6年前の今頃、母が立ち上がれないと連絡を受けた。
どうしたのかな?太り過ぎ?と、軽い気持ちで岡山に帰ってきた。
どうやら腰が悪いらしい。近くの病院で手術することになり入院。
良くなるのかなと、思っていたら母はどんどん動けなくなっていった。
言葉も出なくなり、そのうち呼吸すらままならなくなった。
大学病院に転院し、24時間父と私で付き添った。
そのうち、母は父しか受け付けなくなり、父は仮眠する時間を除く全ての時間母に付き添った。
父は2ヶ月で20キロ近く体重が減り。
中性脂肪コレステロール血圧全て正常値になった。
入院して3ヶ月、母の呼吸が止まった。
「延命しますか?」の問いに父は迷わず「延命します」
母は喉に穴を開け、呼吸器が付いた。
おなかにも穴が開き、胃瘻が設置された。
呼吸器をつけると楽になるのかなと思っていたが、息が出来てる感覚を得るまで時間がかかるという。
母は呼吸器を付けてもなおもがき苦しんでいた。
生きるのも死ぬのもどちらを選択しても苦しいのだ。
母の病名はALSだった。
写真
我が家の庭はもともとは森だった。
ミニあやめです
ここを耕して、彼岸花の球根を掘り起こす予定です。