parkのブログ

日々のことALSの母に寄り添う父のことおもいつくままに書いていきたい。

急速に悪くなる母

胃ろう、呼吸器をつけた母。
あっという間に筆談ができなくなり、眼球が動かなくなった。
口だけパクパクできた。
辛い時は、声も出ぬまま大きな口を開けて泣いていた。
赤ん坊のようになった母。
この善良な女がいったい何をしたというのだろうか。
しかし、父は生きてくれているだけでありがたいという。
母から離れようとせず、ひたすらあれこれと世話を焼いていた。


介護度は5になり、充実したサービスが受けられるようになった。
おむつ交換はほぼ訪問看護の方がやってくれた。
少しゆとりができた。




父が描いた絵を壁に飾った。




必死の断捨離

2階のベランダから投げ落とした家具たち


これらを全て解体して燃えるゴミで出しました。
死ぬかと思った。


実家はゴミ屋敷だった。
なんとしても片付けないと、私が住めない。
古い家具ばかりで再利用できるようなものは無かった。


高齢者事業所から左官さんを紹介してもらい、彼とふたりで投げては解体を繰り返した。


そしてここまで綺麗になりました。


床も見えない状態でした。




まだ意思表示ができていた頃


母があちこち痒いと言うので孫の手を渡した。
それが大失敗。
母は用があると、その孫の手でベッドの柵を叩いて父や私を呼ぶようになった。
首の位置が気に入らない。
背中が痒い。
目薬をさせ。
足を動かせ。


その場を離れると、数分でまたガンガンと叩く。
思うようにならないから泣く。
筆談するも、ミミズののたくった文字で読めない。


父も私も孫の手攻撃で疲弊していた。
私は眠っていたが、父は細切れにうとうとするのみ。
このままでは、父が倒れる。


どうする??
と、思ってるうちに母は孫の手を握る力を失った。
そして静かになった。




母の趣味だった粘土細工